江戸時代。丹生周辺の農地は櫛田川よりも高いため、水利がなく米がとれず、村人たちの暮らしはたいへん苦しいものでした。
そんな村人たちを見兼ねた彦左衛門さんは、私財を投げ出し、紀州藩を説得し、15年かけて立梅用水を完成させました。
日ごろから、村内で生計に困っている者があれば、ひそかに窓下に行き米や銭を投げ入れた、という話からしても彦左衛門さんのお慈悲深さがうかがえます。
西村彦左衛門さんの歴史
- 1774年
- 丹生に生まれる
- 1808年/35才
- 立梅用水開設を計画!
- 1820年/47才
- 立梅用水工事にとりかかる
- 1823年/50才
- 立梅用水完成!!
- 1830年/57才
- 激動の人生を終え…永眠
生家について
生家がある通りは、和歌山別街道ということで、伊勢神宮の道として多くの旅人に利用されていました。
そのため、この地域は商いが盛んで西村家は酒屋を営んでいました。(大正のはじめごろまで)
生家の場所
生家のご利用
生家はイベントや会議等でご利用していただくことが可能です。
ご利用申し込みを希望される方はお気軽にお問い合せください。
イベントや発表会、会議など様々な用途でご利用いただけます。